Type-F その他
   折畳みブロック

カッティングシートみたいなシールの有る無し
 よく練られた機能を具現化するために、誠実に取り組まれた部分なのですが、
まともな材質なら安全係数高過ぎそうな嵩高さで、異様に手堅く万全な雰囲気がします。
工場の熱や油の臭いや機械の騒音が伝わって来そうなシロモノです。 昭和の香りがします。
ホントなら周りに溶け込ませたい折り畳みの部分を、思いっきり区別してアピールしていますね。
受け止め方に悩んではなりません。 感性を押し殺してやりすごしましょう。
 
 間違いなく機能する形に仕上げられて粗い所もありませんが、“美しさ” が感じられません。
接着剤併用でフレームパイプにボルトを貫通させるという製法も業種違い感が漂いますし、
どこの分野で使われているのでしょう、よくこんな締結具を見つけて来ましたね。
製造業向けの業務用カタログなら載っていそうな感じがしますが、
個人向けとしてなら昔の太平洋を横断する四発プロペラ機とか、
ヨーロッパ行きの蒸気客船の乗客の大きな鞄なんかに付いていそうじゃないですか?
ノスタルジックですねぇ。
 
 機能オンリーでおふざけなしのブロックですが、
フレームの余計なおふざけ模様とのギャップをカッティングシートで馴染ませようというのは、
実に安っぽい、
、、、、、、と思って端が欠け始めていた黒シールを剥がしてしまったのが右画像です。
ここだけ町工場で作ってもらいました、みたいな実務的デザインの唐突感が剥き出しになってしまい、
これは失敗でした。
この手のシールを貼るのは幼児用玩具のやり方で、応用範囲にも限度というものがありますが、
それで間違いなく救われているという事実が何ともはや、、、。
 
 この部分は、自転車らしさの無いミスマッチで構成されています。
でも、必要を満たす入念さは見事ですから、専門という枠にとらわれない斬新さ、
と言い換えておきましょう。
 
これは、夢見るチビッ子の大好きな戦隊モノの
変形メカのイメージではないでしょうか?


こっそり本領発揮で抜かり無し、です。
   グラフィック
 Type-F のグラフィックって
何処か引っかかるものを感じるんですが、
うるさいうえにカメまで這っているせい?
 
 白いカメなら、祀られるべきものでしょうが、
今や特定外来生物に名を連ねるまでになった
カミツキガメ風に凶悪そうでは駆除対象ですね。
ゲーム機時代を引き摺っているみたいなデザインで、
社会的グレーゾーンな雰囲気もするような。

 もしや業界に切り込むために、
自転車売り場のどのコーナーに置けばいいのか
分からんようなやつをわざと作ってます?
 グラフィックの是非
 2005(ver. 1.5)〜2022(ver. 1.7)の期間は、
Type-S に揃えてロゴのみのすっきりグラフィックでした。
良い点は、玩具的な模様が無く、あたり前であること。
難点は、美しさの無いフレームのつまらなさが強調されること。
 
 Type-F のフレームには、正統な自転車の美学を感じさせる箇所が全く存在していません。
そういったものとは別の次元でデザインが成立しています。
正統な手法で済まされない、リカンベントな折畳みとしては良く整理されているのですが、
台形断面のパイプは、ホームセンターの資材コーナーにありそうな感じがしますし、
スイングアームはビミョ〜なニュアンスの漂うかまぼこ型。
フロントフォークは角パイプで、ダウンチューブは普通に丸パイプと、雑多に入り乱れています。
それでも表現として上から見ても横から見ても、
寄木のような継ぎ足し感に満ちた直線補間の構成で押し通して違和感を押さえ込んでいます。
機能を上手に満たしていますが、残念なことに機能美と言うか、華がありません。
それで、ごちゃごちゃしたグラフィックを連ねて一体感を演出し、華を添えているわけですね。
そういう視点から見たグラフィックは、デザインスタジオらしい出来の良さなのですが、
幼児向けのグラフィックと映れば価格の信頼性を損ないかねません。
「遊戯用品の製造販売」路線にあるような変わり種自転車ですから、
如何に車体にマッチしていても危険な演出となります。
 
 娯楽用機材公道走行許可証 ?
 問題は上掲の白いカメなんですが、、、
カメは白カメ2匹と赤カメ1匹が居ます。 (縁起物という訳ではなさそうです)
折り畳んでも前・後、左側面の3面にしっかり現れます。 (一匹でエエやろ?)
私の頃は、許可なし訳あり品みたいな乗り物でしたので、
その免状代わりとして受け入れざるを得ない面もありましたが、
今や表面的には公道走行をはばかるほどのものでは無くなっているわけですし、
いつまでも言い訳みたいに正統に属するものではない象徴のような印を付ける必要はないでしょう。
 (せっかくやし、ず〜っとつけといたらええねん)
 
 「皆様」のご要望に応じてお揃い解除となった現在は
元のごちゃごちゃしたグラフィックに戻りましたが、
流石にハンドルポストの白いカメと網目は復活ならず。 (イメージカラーのボンバーオレンジを除く)
「皆様」のお目は高いですね。
 
 正体不明な「皆様」をさておけば、Type-F と Type-S の個別化が図られたことになります。
昨今の物価上昇に抗えずあまりに高額化してゆく中で、
Type-S とは同列には扱えない別モノであることを強調しておきたいといったところでしょうか。
でも、今更それはないか?

 
すっきりおそろいモード
あ、自転車の美学を感じる箇所がひとつだけありました。 ALEX のリムです。 36H もあってちょっとアレですが。
   Air Shox
 DXに標準装備だった純正エアサス。 サスポンプが接続できるよう倒立させています。
見た目の通りエアボリュームが小さく、空気圧管理がシビアです。
さらにトラベルも小さいため、乗り心地を調整するような芸当はちょっと無理っぽいかと。
理論的には可能な調整範囲はあるはずですし、
心が研ぎ澄まされた最初のうちなら違いも感じ取れ(るような気がし)ますが、
やがては突っ張らず、底突きせずの間なんて点でしかなくなります。
それでもさすがに微振動をよく消してくれます。 サスというよりもクッション。
当時は「ふんわりした乗り心地も可」といったインプレッションもありましたが、
それはエアサスのイメージが創り出した幻想ですね。 都市伝説並みの信仰でしかありません。

 どういう内部構造かは知りませんが、手放す頃には「くの字」になっていました。
目立つほどではありませんが、後方へ突き出すのでタイヤとのクリアランスは余裕なし。
全長が伸びるほど空気を入れてやれば、しゃきっと元通りになります。 面白いでしょう。
 
 右は下側の取り付けボルトです。
下の短い方がオリジナルですが、サスの通し穴にネジ山の痕をつけていましたので、
ネジの無い部分が長い上のものに交換しています。
フレームの精度が悪いのか剛性不足でねじれるのか、変な荷重が掛かるらしく曲がってしまいます。
フレームのねじを切っていない素通し側の穴径が大きく、
嵌め合いがゆる過ぎるせいではないかと思っています。
嵌め合いというよりも、バカ穴といった方が適切かもしれません。
このためにボルトが片持ち式な支え方になっているのでしょう。
気休め程度のお飾りサスのために加工精度を出す必要はない、という判断のようです。
悪い意味でバランスのとれた設計です。
 一度、アルミ缶の細切りで嵌め合いをきつくしてみた(or しようとした)ことがあるのですが、
その時限りで終わっています。
工作の技量の問題だったのか、そういうやり方が通用しないものだったのかは、
もう忘れてしまいました。
きれいさっぱり、それっきりですから、後の方かもしれません。
 
 設計遺伝子を受け継いだ Type-R でも同様に曲がります。
   にじゅうまんえんの聖域に突入、ってどうなんでしょうネ !  2016/4
 お子ちゃまなレボシフターもついに ver. 1.6 に至って
シマノ Claris のフラバー用ラピッドファイアに進化いたしました。

(どうやって《基本的な問題》をクリアしているのかしていないのか気になりますが)

ver. 1.6 は一過性のパーツ在庫消化のためのモデル(折り畳みブロックが旧・鍛造タイプ)ですから、
標準モデルとしては ver. 1.7(税別 \189,000-/税込\204,120-)から、ということになります。
これにより ver. 1.55 の \164,000- (税別) が、レボシフター採用車の最高額となるでしょう。
 
 ある意味、劇的なステップアップではありますが、ハブは ALIVIO のままですし、
Claris も低価格完成車向けのロード系最下級8速モデル 2300 シリーズの後継だそうですから、
十数年ぶりの進化とはいえ、車体価格不相応に低グレードコンポという点では変わりがありません。
最も高額な8速仕様車となるのも夢ではないでしょう( 夢どころかすでに現実なのかもしれませんが )
ver. 1.55 と変わらぬ価格の Type-S SD(税別 \163,000-)が SORA 9速という現状を見れば、
高級ではない高額車というポジションは、もはや伝統の領域ですね。
 
 チェーンが CN-HG50 から CN-HG71 になっていたりでこっそりと光りモノも増やされ、
本家サイトの画像を見る限りでは、それなりのいいもの感が達成されています。
ここまで来ると、背もたれやサドルといった根本的な部分の見直しを図ることの必要性など、
購入者当人すら気付かないのではないでしょうか?
8速安コンポで価格を抑えてなおにじゅうまんえんの中身が、そんなモノのはずがありませんからね。
基本的な部分の完成度が私の 2003年モデル(\115,000-/税込\120,750-)と同程度なわけがない。
進化というのは、そんなものではないはずです。
にじゅうまんえんというのは、今更そんなところへ引き返すことなどできない聖なる領域です。
Tartaruga 万歳 ! ついに批判の及ばぬダークサイドに突入 ! か?


・・甘いな・・
E-VEHICLE Tartaruga series は、
大量生産品とは程遠い、ハンドメイドと言える程の膨大な人の手間をかけて、一台一台作られます。
 
 
2001年に発売を開始した、Type FOLDING は、
多くのユーザーからのご意見を反映させながら、着実に進化をとげてきました。
・・・・・
その楽しさは、残念ながら、本当に言葉では伝えられません・・・
御体感いただいた方のみがわかる世界、それが Type FOLDING の全てです。
 
 
 全ては「楽しい」という感覚のために

「空のきれいな、自転車のオープンカー」と称されるその走行感覚は、
設計時の大胆な発想と細かなチューニングから実現されました。・・・
・・広大な視界は、まるで雲の海で、カヌーに乗っている様な感覚です。
・・・「初めて自転車に乗れた時の、・・・様なあの感覚」が蘇ります。
 
 
 実走行を繰り返し、徹底的に磨き上げられたハンドリングフィーリング。

小さな背もたれに体を預け、車両との一体感を得たときに体感できる、抜群のハンドリングフィーリングは、
走行実験を重ね徹底的に磨き上げたからこそ実現できました。
特に、なだらかな下りの緩やかなコーナーを、背もたれと一体となり、
体重移動(リーニング)により駆け抜けていく感覚は、鳥肌ものです。
その感覚は、まさに高性能ライトウェイトオープンカーのそれを髣髴させる、楽しさがあります。
   注意 : スピードの出し過ぎには、充分にご注意ください。
 
 
 ドライブトレインを、シマノ Claris にグレードアップ

従来のグリップシフターから、トリガーシフターへ変更する事で、・・・・
リアカセットには 11T-32T を装着してギア比のワイド化を行い、従来弱点とされていた登坂性能の向上を図り、
上記シフターの変更とあいまり、より「ペダルを漕ぐ事の楽しさ」を満喫できます。
本家サイトより  
2017/02 更新   
 何となく記述が更新されているような気がするのですが、、、
うわついたムードが影を潜め、説得力が強化されていますね。 思わず応援モードに引き込まれそうです。
言葉で伝えられないと言いながら、けっこうあれこれ表現を試みているのは企業努力ということでよろしいかと。
 ・・・・とはいうものの、、、

 小さな背もたれに体を預けた、車両との一体感と安定感のもとに展開される広い視界、
さらに、一体となって素直に曲がる・止まるという爽快感が加わり、
自分が中心となった世界が開ける感覚こそが Type-F の真骨頂なのですが、
「雲の海のカヌー」というのがその現出する世界感を表わし、
「高性能ライトウェイトオープンカー」というのが一体感を表わすものとして了承されます。
(2003〜2004年モデルには十分通じる比喩ですが、それ以降のモデルではさほど説得力は無いかもしれません)

  「楽しい」という感覚=「自転車のオープンカー」=「雲の海のカヌー」、

   感覚=「高性能ライトウェイトオープンカーのハンドリングフィーリング」の楽しさ、

と鍵言葉を交差させてまとめられてはいますし、
空想的な比喩でしかない前者に対して、後者は現存する具体的なもので表現してみたりと、
なかなかの構成力で展開されているような流れを感じないわけではありません。

 でもどちらも感覚、“フィーリング” のお話なんですよねぇ。
変な形をしたものに乗ることが操縦するという感覚を生み出しているせいでしょうか、
自転車ではないものからイメージを移植していますが、
そればかりで押し通されると、現実的な実車の判断のしようがなくなります。 なかなかやりますね。

 前者は「空の見える広い視界は、初めて自転車に乗れた時のような高揚した楽しさをもたらす」、
それは「設計時の大胆な発想(と細かなチューニング)によって実現された走行時の感覚」、ということですね。
“大胆” と “細かな” という対義語が創り出す流れの良さはなかなかですが、
“細かなチューニング” はそれが示すものが不在で、言葉だけが宙に浮いています。
後者の “走行実験を重ね徹底的に磨き上げた抜群のハンドリングフィーリング” がそれに当たるかのようですが、
前者の “初めて自転車に乗れた時の感動” の走行感覚は、
そんな突き詰めたレベルに支えられないといけないような領域で見出される楽しさではありません。

 発想は優れていても細部の詰めが甘い、という多数の指摘を否定すべく言葉を先取りしてみたものの・・・
後者は前者を具体的に補完するようでありながら、
論点を走行時に現出する世界観から操縦時の応答性に切り替えた、別の話になっています。
しかしながら、下りコーナーをなだらかで緩やかと感じながら駆け抜ける時の走行感覚は、
まさに前者で語られた走行感覚に違いありませんし、リーニングという用語も前者のカヌーに引っ掛けたものです。
前者に属するこの感動的にごきげんな状況の楽しさが、
鳥肌ものの緊張を強いられるスピードの出し過ぎな展開になっても継続する場合こそが、
「まさに高性能ライトウェイトオープンカーの抜群のハンドリングフィーリングを髣髴させる楽しさ」であり、
「それは、走行実験を重ね徹底的に磨き上げたからこそ実現できました」と言えるでしょう。

 とはいえ、小径車の下り高速コーナーの危険性はご存知ですよね?
ここに快感ゾーンを公認するわけにはいきませんが、その代わりになだらかで緩やかという設定では、
抜群のハンドリングの出番は無くなり、“髣髴させる楽しさ” の状況証拠不十分で申し立て却下とあいなります。
「スピードの出し過ぎには、充分にご注意ください」な状況の、
自動車に比喩している時点ですでに「空想的な自慢話」を、
「その検証はなだらかで緩やかな状況でも十分果たされている」という夢物語に昇華させてしまったのが後者ですが、
その昇華の勢いは前者を包摂してしまうかのようですね。 これが説得力ってやつでしょうか。

 ただ残念なことに、これなら誰しも分かるだろうという具体的な状況設定にもかかわらず、
とにかく実現したものは「印象レベル」の「感覚」という変幻自在なシロモノですから、
せっかくの「高性能ライトウェイトオープンカー」も「雲の上のカヌー」の言い換えに過ぎなくなります。
(まぁ、“高性能” を単なる符牒として使っている時点で与太話っぽくなっていますけど)
空想的に押し通す方が、かえって現実性を帯びた主張と言えるかもしれません。 真実性と言った方がいいか?

 では実際の下り性能はどうなのかと言えば、前輪荷重が小さいのでフロントの剛性不足を感じることは皆無ですし、
路面からの多少の突き上げも、剛性感の無い車体が竹のように適度にしなっていなしてしまうような感じで、
怖さを感じることはありません。 もちろん限界は突然現れますからスピードの出し過ぎの程度次第ですが、
ロングホイールベースと(剛性の無い)しなやかなフレームが、小径の怖さを封じ込んでいるように思えます。
チューニングとは別次元の、棚からぼたもちみたいな利点ですから、
高性能ライトウェイトオープンカーとは話が違うでしょうね。
「あえて剛性を上げずに小径の神経質な挙動を抑え、自然なハンドリングを実現した」とでも言ってもらえれば、
見た目に反して非常に理に適った素性を持つことに気づかされて、旧い私はかなり共感できたりするんですが。
人にやさしいバランスのとれたフレームだと思いますよ。 ぜひ現実にも目を向けて下さい。
 
 元に戻って、、
「雲の海のカヌー」に「高性能軽量オープンカーのハンドリング」を継ぎ足してしまう感性は疑われるべきです。
Type-F の面白さに囚われてしまうと、こういう無茶な解説も抵抗感なく受け入れてしまいがちになりますが、
自分の感じた面白さの検証になりそうなものなら何でもいいという訳にはいきません。
変なものに乗っている自分を客観的に納得させてくれるものを無意識に求め始めた時、
それはすでに「信仰」にはまりかけた状態ですので、気を付けねばなりませんよ。 用心してください。
 
  ?!?!??〜 次いきましょう。
「背もたれで一体感」とか「細かなチューニング」や「実走行を繰り返し徹底的に」、「走行実験を重ね徹底的に」
といった触れられたくない、秘孔を突かれるようなフレーズはこれまでなかったような。
先手必勝の自主申告で、指摘される前に予防線を張っていますね?
「すべては楽しいという感覚のため」であり、「楽しいのは抜群のハンドリングフィール」であり、
それは「徹底的な実走行テストによるもの」という、詮索無用の宣言・決定権の行使です。 転化のさせ方がお上手。
「徹底的な実走行テストによるもの」と「着実な進化」とが結び付けられていないところがミソです。
このあたりは勝手にイメージ結合してくれますからね。 危険回避もなかなか巧みです。
徹底的に何を見極めていたのかは存じませんが、相当意識して本家防衛体制に入った決意が伝わります。
 
 最後は Claris ですが、「トリガーシフター」では SRAM になりますから、ちょっと拙いかも。
「グリップシフター」もそうですが、人口に膾炙した表現ではあってもこういう場合は微妙ですね。
また、11-32T という選択が着実な進化なのかどうかが問われるわけですが、、
それについては《こちら》《こちら》に、、
 「カメラとの高い親和性」は「日本の伝統建築フレーム」に次ぐ名宣言
18インチのタイヤを採用した、低くて楽な独特な姿勢の乗車ポジションは、
停止時の「抜群の足つき性の良さ」による安心感をもたらします。
街中での走行時に多い、信号待ちも、ただ椅子に座って待っているだけ。
究極の楽さにつながります。
抜群の足つき性は、その独特の乗車姿勢と相まって、カメラとの高い親和性をもたらします。
このカメラとの親和性についての詳細は、専用ページを設けていますので、
下記リンクよりそちらをご覧ください。
Tartaruga Type FOLDING の、抜群の視界の広さと、足つき性の良さ、
そして何より、独特のライディングポジションは、一眼レフを首から下げた状態で、走行可能な為、
目に留まった気になる一瞬を、パッと止まって、その次の瞬間には最高の高画質で切り撮るという、
自転車とカメラのベストコラボレーションが、いとも簡単に実現可能です。
まさに、カメラ撮影の為に生まれたといってもいい程、
「Tartaruga Type FOLDONG ×カメラ」の相性は抜群なのです!
自転車でポタリングしながら、日常生活を切り撮る、そんな使い方には、
この地球上で最もお勧めできるのが、Tartaruga Type FOLDONG です。
〜本家サイトより  
 え〜、笑っている方はいませんよね。
コピペしていませんが、冒頭にはちゃんと
“ Tartaruga Entertainment Works は、「気持ち」をデザインしています ”
って予防線が張ってありましたでしょう? 気持ちです。 見落とさないで下さい。
 
 でもそんな、これまでの心象的な主張から一線を画し、
Type-F にはっきりとした現実の使用目的を制定すべく編み出された、
昨今の、とにかく画像をアップロードするブームに便乗した、
見事に三段論法な、とても優れたプレゼンではありませんか。 おしゃれです。
Type-RE の「新しい時代の自動車」というハイブリッドカー便乗とは比較になりません。 お見事です。
 
 重くて硬くてカタマリ感のある一眼レフを首から下げられるし、座ったままで撮影できる、
というのが地球レベルで優れているそうです。
又聞きみたいに言ってしまいましたが、私だってFに乗っていた頃は一眼レフ持っていましたし、
この Webサイトも持っていました。 (え〜っと、昨今は一眼レフではなく、一眼なんですよね?)
Fの乗車姿勢ではオープンな胸元からお腹にかけて何か出来そうに思えることは体験済みです。
でも、ウエストバッグすら許容外でしたし、胸ポケットにコンパクトカメラもダメです。
体型に依るかもしれませんが、首から下げても収まりが悪いし、とにかく邪魔でうっとおしいだけ。
走る楽しさは無くなりますし、最高の高画質な精密機器の扱いとしても如何なものかと。
Fの基本というか鉄則は、お尻の荷重を増やさないこと、機を捉えてサドルからお尻を解放すること、です。
足つき性の良さは、停まればサッと立つことに役立てねばなりません。
余計なものを身に付けたり、横着かましてはならないのです。
お見事なプレゼンですが、根本的な相反を含んでいます。
その落し処として「ポタリング」というユルユルな徘徊走行を設定しているのは当を得ていますが、
うっとおしいものはハナからうっとおしいです。 おそらく地球レベルでそうだと思います。
でも、「嘘ではないが現実とは異なる」は今どきは地球レベルであたり前ですね。
 
 「親和性」なんて元々化学用語だけあって何だか根拠に支えられているようで魔力のあるキーワードも、
使用法は間違ってはいないようですが、指し示す内容には見合っていないような雰囲気も漂います。
でも、頁を分けて「親和性」と「相性」とをしっかり使い分けているのは流石です。
 
何はともあれ、遊具ではなくなって使途不明だった Type-F に
地球レベルな晴れ舞台が見つかったのは喜ばしいことです。  

見よ、Type-F ! ! !  万歳、ニッポン ! ! !
(本家サイト画像を加工)
 ファインダーを覗いている最中も、
前輪が切れ込まずに大人しくしている小径車なんて
自慢出来ますよ。
センタリング補助スプリングのおかげですが、
そういうところもちょこっとアピールすればよろしいのに。
 
 でもホントは見た目ほど安定した体勢ではありません。
後ろに下がらないようにがんばらねばなりませんが、内緒です。
体幹やお腹周りにも効きます。
おしゃれは我慢なのデス。

 
 次はきっと宇宙へ飛び立ちます。
聞いたかや?    
これでチタマとおさらばだがや
どうやって乗るおつもりですか?
以下は頁を埋めるための余談、役に立たない昔話です。
   初めてのType-F
 ショップで初めて見たたたずまいは以外と普通、まとも。
所狭しと並べられた中の一台でしかありません。
全長は普通にあるので、ほかの自転車と同じように並べられています。
ハンドルとサドル以外の本体は、ほぼ 18in. のホイールの高さに収まってしまうローフォルムなので、
全体がよく見えず、並んでいても目立たないのです。

 「目立たない」ということは「普通・まとも」に通じます、よね。 ちょっと安心です。
背もたれが付いているのは特徴的ですが、この程度の大きさでは見た目のインパクトはさほど無く、
思っていたよりも普通なレベルに感じます。 そう感じ取ろうと努力します。
サドルが大きいのも特徴的ではありますが、ママチャリ風なやつが少々大き目になっていたところで、
やはり思っていたよりも普通なレベルです。 少し努力してそういうことにしておきます。
でも、長いハンドルポストの間延び感を取り繕う《亀と網目模様》には、
さすがに引いてしまいそうになりました。
もちろん知ってはいましたが、悪い意味でイメージ通りです。

(( 自転車というジャンルではありえへんやろ、このグラフィック。 大のおとなにはきついぞ、これ ))
  (( Jr. なレボシフターとの相乗効果もありそうや。 大のおとなにはやっぱりきついぞ、、、 ))
 
 予測した最悪の事態は、広告だらけの激安通販サイトで扱っている
おかしな中国製キックボード類の延長線上にあった場合。
少なくともグラフィックの見てくれはそうですから。
しかし、これは「日本発」です。
価格・販売ルートからしても、もう少しまともなものを期待して良いはず、、。

 期待に違わず、確かに作りは店内の自転車と同化しており、かなりまともです。
予想的中、払い戻し有り、といった気分です。
外れた場合に備えて、街頭募金に寄付する気構えで注文しましたが、
これはもう賭け事みたいな買い物でしたからね。
渡したお金がその先、何になるのかよくわかりませんから、寄付も博打も同じです。
 
 お勘定を済ませて店の外へ出してもらうと、普通じゃないことが一目瞭然になります。
今からこれに乗って帰らねばなりません。 すでに外部の人の目に晒される領域に入っています。
これはもうアトラクションですね。 どういうリアクションをすればいいのでしょう?
これ、私が買ったんです。 普通の人が乗ってもいいんですよ、これ。
普通じゃないのがどのくらいの程度なのかよりも、とにかくこれで帰らねばならず、
帰れば家族の目にも止まる。 買った以上は当たり前とは言え、大丈夫か? 何とかなりそうか?
、、いや、それよりも速やかにこの場を撤収せねば。 変かどうかという判断などスキップです。

 (家族の反応は「ちっちゃいやつ買おたんやねぇ。
  変わった形してるけどきれいな色」みたいな感じだったと思います)
 
 店を出て恐る恐る乗ってみれば意外と普通。 違和感も癖も無く、普通に走れるのが意外でした。
これは爽快、おもしろい ! 遊べる !
この買い物は “当たり” なんじゃなかろうか?  期待していなかった値引きもあったし。
とにかく Tartaruga の情報は僅少で実態不明。 類似車もなし。
無難路線ではない以上、実際に使えるものであれば御の字です。
となれば、「普通に走れる」という全く当たり前なことが、
Type-F の評価では加点要素に化けます。
Type-F では普通レベルであることに高い評価が付くという、判定のでっちあげが生じるのです。
「乗って楽しい」という事実がこれを強力に支持するために、過大評価のやり取りが行われます。
また、「独創的」であるが故に、既存の「自転車」の範疇では許されない「未完な部分」があっても
良しとしてしまうのです。
それでも完成に向けての努力が認められる限りにおいて、
独創的なものを世に送り出した実績の方を高く評価するのは、間違いではないでしょう。
 
 では、完成に向けての努力とは何でしょうか?
それはリリース後に矢継ぎ早に行われた改善策の数々です。
良いものを提供しようとするメーカー努力は確かにありましたし、
ユーザーのために掲示板も用意されていました。
完成途上の現在進行形であることははっきりしており、これからの進展を期待していればよかったのです。
したがって、やがて無くなってしまうであろう現状での欠点をあげつらうよりも、
良いところを評価しましょう、というのが
私が Type-F を買った頃のユーザー意識であったと思われます。
とにかく乗ると楽しい、しかし、欠点に目をつぶっているわけにはいかないので、
あれこれと試行錯誤を繰り返す。 それもまた楽しみ方の一つです。
ストレートに楽しいが、ストレートに喜んではいられない、
生みの苦しみをメーカーとユーザーが共有する連帯感が漂います。
当時は楽しめる環境に恵まれていたと言えるでしょう。
 
 しかしこのような心象を成り立たせていた「完成に向けての努力」が疑わしくなったときには、
率直に自転車として評価し直さねばなりません。 私の場合はシートフレームがその転換点となりましたが、
それは、以前からの、無批判に Type-F を持ち上げ宣伝する流れに対する不満の爆発点でもあります。    関連》
   Type-Fを選んだ理由
 何かちょっとした自転車に趣味で乗りたいと素人が突然考えだしたときに、
MTB やロードといった既存の完成されたカテゴリーの中に入ってゆくのは煩わしいものです。
何せ知識がありません。
未経験ですから自分の考えているものがはっきりしていませんし、
今時の MTB やロードに対する知識も不足しています。
意を決して専門店に行って陳列されているのを眺めたところで、
世間一般の消費者の感覚ではついていけない相場が垣間見えただけで、
具体的な像は何も浮かび上がって来ませんでした。
 
 とりあえず「〜のお店」みたいな商店街のはずれの自転車屋さんの壁に飾ってあるやつは、
この歳で趣味の対象にするには役不足であることははっきりしました。
さりとて、専門店の本格的なやつを品定めするには知識不足なわけですが、
この行き詰まった状況にも「ミニベロ・小径車」という抜け道がありました。
カテゴリー自体は本格的ではないのに、自転車は本格的に作られている、という便利なシロモノです。
宣伝文句を鵜呑みにすれば、そこそこ本格的に走ることになっていますから、買う理由は成り立ちますし、
無理して本格ぶらなくとも “洒落” で誤魔化せます。
本気度を上げていっても MTB やロードの方がずっとまし、という限界点がありますから、
本気になる必要などハナからありませんし、融通が利きそうです。
本物志向のつもりで実は中途半端に付き合うには、小径車は好都合なのです。 業界の罠ですね。
正統派のまともな視点からは「小径車に良いところなど無い」と言い切れると思いますが、
まともに視点を据えかねている身にとって、小径車は拠り所となります。

 で、勧められたのが BD-1。
お客さんが良く走るとおっしゃっているそうなんですが、
不自然にちんちくりんで つんのめりそうにバランスの悪い、
カマキリみたいなややこしいフロントメカの、
どえらく高い ぶっさいくなやつを勧められたんじゃ、
このカテゴリーにも食指を伸ばせません。
余興で乗るには覚悟が要り過ぎでしょう、こいつは。
ある意味、本気にならないと付き合えませんよ。
ひょっとして商売っ気出してます?
(Pacific Cycles Japan より)
 勧められたのが BD-1 ではなく素人目にも常識的な形をしたミニベロだったら、
買っていたかもしれませんが、、。
でも、ちょっと本気なやつには、ケツが裂けそうな細くて硬いサドルが付いているんですよね。
こんなに厳しいのなら小径車も御免だなぁ。
 自転車に少しお金を使ってみようかという思い付きは、これで自然消滅です。
 
 その後、何が切っ掛けかは忘れましたが、インターネットで Type-F を知り、
これなら買ってみてもいいかなと思いました。
BD-1 を勧めた店長でも、流石にこいつの良し悪しまでは分からんだろうという、
正体は買った本人のみぞ知る、変わり種自転車。
変な発明品のような、何をもって良しとすべきか判断基準の不明な自転車。
ここまでズレていると、理屈よりも潔さがモノを言ってきます。
「あえて自転車とは呼びません。 ので、とにかく自己責任でお願いします」みたいなところが、
小難しく本格的に自転車をやっているやつらが出入りする専門ショップに敷居の高さを感じる素人の
対抗心をくすぐったのでしょう。

 ということで、
どういうものなのか誰にも分からないんだから私が買っちゃいましょう、となりました。
あ、別に相談したわけではありませんので。
残った問題は、どうやって買うかです。
果たしてこんなモノが認知されているのか疑問でしたが、近所のショップであっさり注文できました。
勉強熱心な店長は何でもよくご存知です。
展示会で見たことがあるとかで、
「これですね」と見せてくれたミズタニ自転車のカタログにも、堂々と掲載されていました。

 そのカタログには M5 のリカンベントも掲載されており、
ヒエラルキー臭い正統路線を外すのであれば、この方面にも選択肢があったことを知りましたが、
その世間離れした価格と在り様は未知の領域で、素人の思い付きの対象外であることは明らかでした。
Type-F は、比べればずっと現実的な折り畳み小径車です。 選択に間違いはなかったようで一安心。
もし間違っていても小さくして放り出せますからね。 大丈夫です。

 どうしても欲しいわけではありませんでしたので、
もし「なに、それ?」な反応であれば、それでおしまいにするつもりでした。
フレームカラーの選択は「第一希望・オレンジ、第二希望・黒、第三希望・青」と全部並べておきました。
色なんかどうでもいいでしょう、これ。
実験的に買ってみるだけですから、色なんて別にどうでもいいです。
そうです、Type-F を選んだ理由は「実験」です。 もちろん観察対象に私を含めての実験ですよ。
 
 以上、今は昔の 2003年のお話でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 お疲れ様です。
   お前も改めてもう一度乗ってみたらどうなんだョ at  二十年経った2023
 そうですね。もう歳ですし、尻が痛くなるまで走らなくても十分ですので、いいかもしれません。
そこで、現行モデルの車体の精度(フレームの精度×組立て精度)が出ていると仮定して、
\60,000- なら考える余地あり、です。
所有し運用する事に対するためらいと、乗り出すにあたっての必要最小限なモディファイ、
得られる楽しさ・面白さを天秤に掛ければそれが上限です。
思うようにセットアップするには手間と資金が掛かり過ぎる時代になってしまいましたし、
その対価も十分なものではないことが分かっておりますので・・・。
 
 \60,000-というのは無印良品16型折りたたみ自転車と同じということになります。
Claris 11-32T・8速と INTER-3 が同列扱いとは酷いものですが、
Claris も人にギアを合わせるのではなく、ギアに合わせて漕がねばならないタイプでしょうし、
ライディングポジション調整の不達成もありますから、走りの質は歯切れの悪いものとなるでしょう。
Type-R の経験から言えば、自転車は空がどう見えるかよりも、気持ち良く漕ぎ進んでなんぼのモンです。
面白さという余得を価格反映させるには、そこがしっかりしていないといけません。
 
 これに趣味という名の無駄遣いを加算したものが、
未知なものへの期待をお持ちになれる方に対する適正販売価格となります。
まぁ、倍額の \120,000- といったところでしょうか。
私の Type-F は(2003年モデル+新型シートフレーム)で、価格を単純合算すれば税別 \133,000- となり、
20年前&車体精度の問題を加味すればけっこう割高なものであった、となります。
泣きを見るといってもここらあたりであれば得られる経験値でチャラにできましたが、
ver. 1.55 以降の Type-F の価格では、割に合わないと思います。
 ここで、Type-F の価格推移を見ておきましょう。
 
● 2003 Type-F SD \120,750-(本体価格 \115,000-)
● 2004 Type-F SD \123,900-(本体価格 \118,000-)
● 2005 ver. 1.50 \139,650-(本体価格 \133,000-)
  新型シートフレーム \18,900-  (本体価格 \18,000-)

● 2008 ver. 1.55 \162,750-(本体価格 \155,000-)
● 2013 ver. 1.55 \172,200-(本体価格 \164,000-)(価格変更)

● 2016 ver. 1.70 \204,120-(本体価格 \189,000-)
● 2021 ver. 1.70 \231,000-(本体価格 \210,000-)(価格変更)
● 2023 ver. 1.70 \282,700-(本体価格 \257,000-)(価格変更)
 
 さんじゅうまんえん近いインフレ価格となれば Tartaruga も被害者です。
値上げの理由付けができたのは
進化を唱えてにじゅうまんえんの聖域に入った ver. 1.7(2016)までとなります。
 
 その進化の中身もこれまでにいろいろあって、確かに見栄えは相応に良くなったと感じていたのですが、
そう思う理由を改めて考えてみると、
★ タイヤにホワイトリボンが入って引き締まった。
★ リムが CNC 加工の黒塗りになって引き締まった。
★ チェーンがシルバーになった。 といった足回りのメリハリが印象のほとんど全てで、あとは
★ ハンドルポストの網目グラフィックの廃止
★ リングタイプのシートクランプ
★ Type-S 共通のリアサス、 といったところで、意外と手が入っていません。
本家サイトの鮮明で大きな画像のいいもの感というかまともになった感の演出に、してやられた感じですね。
いつも怒ってばかりだとこうなります。
外観に効いてこない箇所では
★ ヘッドセット
★ 溶接個所の補強、 等がありますが、
残念ながら価格上昇の理由付け以上の有用性は不明です。
 
 結論としてはこの20年間でドレスアップ的なスペックの向上は図られてきたものの、
進化と呼べるようなメーカーらしい改修は行われていない、ということになります。
それほどの完成度を見い出せるかどうかが評価の分かれ目。

 
 私の 2003年あたりなら、価格相応であろうという期待を込めた品質感で概ねまとまっていましたが
(とはいえ、ベルクロ止めのメッシュシートや折畳みブロックの止め金具など、当時でも?な箇所は目に付きました)
ほとんどそのままで20年後というのでは、にじゅうまんえん超えのステータスに見合うものがありません。
価格を考えれば納得し難い箇所が多く目に付くようになりました。

( 画像は ver. 1.7 )
★ ハンドルポスト 〜 仕掛けの造作全てが古臭い。
  折畳みのレバーをはじめスマートさが微塵も無い。でかいパーツだが機能以外に何も無い。
★ ケーブルの束ね 〜 今どきは結束バンドではなく、スパイラルチューブを使うようですが。
★ フロントフォーク 〜 Vブレーキ台座用の手間のかからない手法にしか見えないただの角パイプ。
  ディスクブレーキ仕様など誰も知らない今となっては、単に素朴なだけでいいもの感無し。
★ Vブレーキ 〜 誰が見ても安もの。せっかくの角パイプフォークまで安もの用に見えてしまう共倒れチョイス。
★ フロントホイール 〜 荷重が小さいのにリアとお揃いの 36H は多過ぎ。 揃えるよりも最適化が説得力を持ちます。
★ クランクセット 〜 プラのチェーンガードもアルミの光具合もお子様向けコーナーであればいいもの感あります。
  BBのシャフト丸見えな風通しの良さも今や価格不相応。
★ プーリー 〜 安っぽい。 チェーンチューブも位置合わせが出来ていないし、駆動系全体がルック車レベル。
★ 8速 Claris 〜 それで安くなっているならまだしも、「11-32T・9速 SORA」 が妥当かつ最低条件。
★ 本体折畳みブロック 〜 こちらも機能以外に何も無く、
  このままでいい訳が無いが、価格なりにスタイリッシュに洗練しようにも出来ない、困ったカタマリ。
  せめて止め金具だけでも自転車パーツらしくなればと願うばかり。
★ 背もたれの握り 〜 機能を考えればこれ以上も以下もないようなモノですが。
★ リアサスの固定 〜 見た目どおりに、下側はスイングアームの連結強度(剛性)に寄与していません。
  スイングアームはグネグネ。
★ ハンドル 〜 ただの間に合わせ。 この世界にはぴったり合うものがありません。
★ 背もたれ 〜 素人目にも持ちが悪そうな消耗品。 支持部の構造が陳腐。
★ 新型シートフレーム 〜 進化の道を踏み外した元凶。 罪状は割愛します。

 以上、どこもかしこも価格不相応なんですねぇ。
部材や見た目だけでなく、合理性・整合性が価格に見合うものではありませんから、
面倒なモディファイ前提の低価格でないとダメだということになります。
買ったとたんに愛想を尽かした方はさておき、
たとえノーマル基調に抑えても、乗り続けられるかどうかは資金と技量次第でしょう。
 にじゅうまんえんは高級パーツ化の到達点で、
にじゅうまんえん台半ば以降は本気モードで何かするための機材の領域です。
残念なことに Type-F はどちらにも該当しませんし、該当させられるようなモノでもありません。
10マン円台半ばまでで勝負せねばならない車種が、えらい状況になっています。
古臭いのは “モダンレトロ”、機能的不適正は “デザイナーズ商品”
ということでは治まりそうにありません。